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ストレスが沢山かかると、欲求で解消しようとする。

昔の昔は、ストレスなんて言葉は無かった。

僕が生まれた時にはストレス、ストレスと大人は言っていなかったし、そんな存在は知ることが無かった。

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もし、苦しい時、悩んでいる時、耐えている時などがストレスという言葉に言い換えられるなら

納得できる気がする。

苦しいと思う気持ちも、悩むという気持ちも、耐えるという時や、悲しいと思う時も、

考えてみれば、自分の心の動きだと思う。

僕は以前はその苦しみと、悩みの中にどっぷりと浸かり切っていた。

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悩み、苦しむと、途端に動くことをやめて、呼吸が短くなり、頭を下げて下に向く。
はっきり言って、何も良いことは思い浮かばない。ただただ、暗く、辛い気持ちがグルグルと渦を巻くだけである。

その状況に、さらに周りが悩みと苦しみの気持ちに別の調味料を入れて、さらにわけが分からない味にさせる。

脱却するには、純粋に前向きになり、シンプルに動く事に徹する事だ。

僕は今、恵まれている。
悩みの時間、苦しい時間を切り替えれるようになり、そういった状況である。
どんな時、どんな状況でも。
ストレスは切り替えられるものだ。と、そう思い、そう信じ込むと、不思議とストレスという物が変化する。

それはストレスではなく、越えるべきハードルか、そもそも超えなくても良いものか、外してしまっていいものだろう。

日本人というか、僕らは苦しい事に美学をかんじたりする。苦しく、耐えて、悲しい時も乗り越えて、、、。
そんな瞬間を味わった上で見つける何かが大切だという美学を、周りの影響から強要される。

しかし、そんなものはもしかしたら早く気付いたほうがいいし、そんな事を教えてくれる人がいれば、早く教えてもらったほうが、人生はすこぶる楽しいものになる。

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大きな夢の前には、沢山のハードルがある、、、。と信じられている。しかし、ハードルは自分が設定し、苦しいという気持ちも自分が作っている事に、やはり気づくべきだ。

大きな夢なら、大きいなりに、ハードルやチャレンジの数が多くなるだけだ。小さい夢なら、チャレンジは少ないし、大きい夢ならいくつものチャレンジがある。

そう考えると、ただ純粋に、ルールの中で、ハードルを越える事だけにフォーカスする事になる。
時に自分で出来ない事があれば、協力してもらったり、別のちからや、場合によっては、根本的にやり方を変えたりする事だ。

人生は、幸せに過ごす事に意味がある。人と関わる意味は、一緒に幸せを分かち合う事に意味がある。


各人の幸せはそれぞれに異なるかもしれない。それは出会った物によって変わり、自分自身が元々持っている幸せ感や、感謝と喜びにある。

苦しい習慣を切り替えるのは実は一瞬だ。

パチンとストレスをチャレンジに切り替える事だ。

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苦しいモノだと思っているモノを、体を動かして、チャレンジしてみるだけでいい。
もし動けないなら、一緒に動いてくれる友や、動かしてもらえそうな人や言葉を探せば良い

と書きながら、もしこの文章で動こうとしている人がいるならば、すでに心はチャレンジに変わっている。

早くストレスという勘違いから、抜け出してしまおう。

# by letitside0213 | 2018-10-10 14:33 | たいの日常。

慌ててしまう心、動揺してしまう心。

昔の僕は、常に落ち着きが無く、自信が無く、すぐに動揺していた気がします。

誰かに、自分の事を責められたり、失敗を言われたりすると、自信を無くし、自分を責めて、ただ落ち込んでいた。

しかしある時から、落ち込むのをやめた。

いや、やめたというより、認めたという方がいいかもしれない。



自分のした事やその事実を、ただありのままを認める。という作業は慣れが必要だ。

この、「ありのままを受け容れる」という事は、駄目な自分を、自分はダメな奴なんだ。で終わる事では無い。

そんな自分も「在る」という事を、知ればいい。という事。



僕は、自信過剰で、自慢したがりで、人の目を気にしないし、変わった事が好きで、物忘れが激しい。

どんな奴なんだコイツはと思ってしまう特徴だが、

事実、僕の大きな特徴だ。

僕は今まで、それはいけない事。直さないといけない事、そんな自分は消してしまわないといけない。と本気で信じていたし、そうしようとしていた。

でも、それは自分を否定しているだけ。

僕は、自分を否定し続けた結果、鬱になった。

しかしこの鬱というものは、そもそも存在しないと僕は思っている。

鬱は、自分がわからなくなった状態。そして、認める事も、否定する事もやめた状態だと思う。

そして、ただ他人から傷つけられた間違ったレッテルに、自分を認めたくない延長の先に、自殺や、衝動的な自傷になるのではと僕は考えている。

僕も責められ続けた結果、死にたくなり、自分を消してしまいたくなった。階段の4階まで上がり、飛び降りたい気持ちになり、実際に飛び降りる前までいった事がある。

躁鬱、なんて言葉があるのは、これも同じだけど、これはその場その場の感情の起伏だけに心を預けてしまっている状態なんじゃないかとも思う。

専門家では無いので、うまく言えないけど、他人の言葉や、いじめ、言動は、自分の自信の無さにどこまでも追いかけてくる。

ただ、ひとつ言えるのは、そんな言葉は、自分たちの特徴のある一面を見ているだけで、反対の側面を生かせば素晴らしい毎日が待っていると僕は思う。

ポイントは、その素晴らしい特徴に気づき、毎日使い続ける事だ。

この世に生を受けて、それぞれの人間に備わった特徴は、それぞれに素晴らしいものがある。

ただ、気付いて生かしていないのは自分だ。

自分のそんな特徴に気づけるのは、母から生まれた時からスタートする、数々の出会いからだ。

生まれてから、死ぬまでにいったい僕らはどれだけの人に会うのか。

僕はまだ38歳だが、結構色んな人に会ったなぁと思うけど、世界の全人口からすれば、これでもかってくらい少ない。

そんな広い世界で、小さな小さな、たった一人、二人、10人だとしても、物凄く少数派の意見じゃないだろうか?

しかもそんな意見も、ヒトラーの時代では無いが、時代や社会風土、環境によって言わされているものであるならば、

気にする事の方がナンセンスでは無いだろうか。

社会的に、犯罪や、人が傷つく事、嫌がる事をしてはいけないが、イキイキする事、人が喜ぶ特徴や、感謝される特技を持っているならば、それを生かしてこそ

自分の生きがいにつながると思う。

そんな特徴は、誰にでも一つや二つは必ずある。

自信の根源はそこにあると僕は思う。

胸に手を当てた時に、自分が今までに本当に感謝された場面を思い浮かべた時、

僕も、人に感動してもらえる力が少なからずあった事を思い出す。



迷える心、動揺してしまっては、本当に活躍出来る素晴らしい人生を歩けない。

今までに君が起こした、小さな感謝、感動、ありがとうや、笑顔を思い出し、自分のそんな喜びをつくりだした特徴を生かし切ろう。

# by letitside0213 | 2018-10-04 22:46 | たいの日常。

旅と出会いが人生を広げる。

小さい時に、祖父母の家に、日曜日になると弟と一緒に自転車で行くのが習慣になっていた時期があった。

理由は100円の駄菓子のお小遣いをくれる事と、

いとこが来たり、TVゲームが出来たりするのもあったが、

その道中の、旅は中々楽しいものがあった。

道中、川や自然、商店や鉄道、道路に人、物。昆虫などなど、ワクワクさせるものがこれでもかというぐらいあった。

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距離が遠くなる分、準備も必要だけど、目標への道のりが楽しかったりする。

1人は一人で楽しいし、皆んななら、沢山でもたのしい。2人でも、仲が深まる旅になる。

僕は、日本一周の旅をした事もあるが、その時の記憶は沢山の刺激を与えてくれ、

特に沢山見た美しい景色と、匂いと、出会った人の会話の感触や、やり取りは忘れられないものになっている。

海外旅行に行く事も時々あり、その都度、自分と、自分の中にある日本人との違いなども感じる。

旅はもちろん、仕事にも生きているし、何よりも、感性の豊かさを、かなり底上げしてくれる。

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違った世界で生きている人と接すると、そこで生活を営んでいる以上は、違いを認めざるを得ない。

そして、違う人と接する中で、自分の中にある元々ある習慣、考え方、慣れなどから一歩離れてみる事が出来る。

旅は、自分たちとの違いを知れるチャンスだと思う。

旅の中で、見たもの、感じたもののありのままを受け入れて、

その理由の中にある沢山の優しさ、力強さに触れる時に、人は感動するんじゃ無いかと思う。

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一度きりしか無い人生。

自分の中にある可能性を、出来る限り引き出してみたい。

そして、沢山の人と出会い、気付く楽しさを感じてほしい。

# by letitside0213 | 2018-09-04 06:46 | たいの日常。

役割を持った家作りと、欲求解消の家作りとの違い




沢山のお客様と、家の話をさせてもらう中で、本当にそのご家族に必要な家の内容と、過度に家の内容に欲求を詰め込みすぎてしまう時があります。


そのギャップを埋める事が、都度難しいなとおもう事が多いです。


それは僕自身の実体験から、深く感じる想いです。




僕は4人兄弟で、一番上。自分が中学生の時、下の兄弟たちも中学、小学生になり、成長と共に、体も大きくなるわけで、物理的に必要なスペースが取れなくなってきました。


そのタイミングで、両親はこれは家が必要という事で、新居の計画がスタートしていきました。

夜な夜な、住宅の営業マンがタバコを吸いながら、両親と何やら真剣な打合せをしていた事を思い出します。


高校生の時、家が完成し、新しい家で家族が住みだしたわけですが、僕ら子供は知らされていなかったけども、その家は小さいながらもかなりの金額をかけて家を建てた状況だった。


多額のローンを抱えた両親は当然懸命に働き、親が帰ってくる時間は遅くなり、家族は散りじりバラバラ。早くからみんなアルバイトに明けくれ、自分達のことだけで懸命だったように思います。

でも、両親はそんな家を建てた営業マンにとても感謝をしていたし、職人さんにお礼を沢山振舞っていた。僕の中では変な感覚を受けたのを覚えている。


一番ひどかった時期は、父親が離職、転職でなかなかいい職場に巡りあえず、悩んでいた時期。

僕らも進路に悩む時期と重なり、お金はない、思う進路に進めない。家族はギスギスする。喧嘩も頻発。

その時期は、親を恨むことも多かったです。


でも、今逆の立場になって考えてみると、親は子供の事を想い、場所を作ったはずだったが、一番ダメだったのは、支払いを甘く見て、家の予算と中身のアンバランスが、長く続く苦しみを産んだように思います。




僕は、無理して家を建てることが幸せに直結するわけでは無い事に、多くの人に気付いて欲しいなと思います。


男性は目標達成の為に家があるわけでは無い事に、女性は家があれば安心という、何となくの幻想に囚われず、不安と向き合わないといけないなと思います。


家のサイズは本当にそこまで必要か?過度の設備じゃないか?そのスペースは必要か?そこまでして見栄を張る必要があるか?万が一という来ない不安に負けていないか?全ては簡単に数百万円という予算に直結する。


現在の仕事の中で、今の会社はそこを考えて家を作っています。だから、予算のことと長い長い支払いのことは一番大事だったりします。

それが成り立ってこそ家作り。ワクワクする家作り。子供も、本当の意味で安心し住めると思う。


今、僕の両親はローンの苦しさから少なからず解放される目処がつき、ようやく心身ともに落ち着いてきた。と、同時に、穏やかに会話ができるようになって来たとも感じます。その原因の一因として、お金はやはり大きかったと思う。




こんな経験をしているからこそ、伝えられるものがあるのかなと思うと、ある意味両親から貴重な経験をさせてもらていると感じます。




今、家作りは変わっていかないといけない時期かもしませんね。


# by letitside0213 | 2018-08-04 22:37

全て理由があった。

毎日を過ごす中で、良い事も、悪い事も、楽しい事も、悲しいことも、全てその前の種がある事に

最近は気づきます。

その種は元々、実は自分の心の中にあるのだけど、今からまでの人生で種を自分の意思で蒔くことは、実は少なかったと思う。

特に辛いことを実らせてしまう種は、無意識に蒔いてしまっている。

イライラしたり、怒ったり、ズルしたり、ごまかしたり

誰かを傷つけるなんて事は、てきめん実った頃には苦しい日々が結果花が咲く。

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会社に行くと、様々な事がある。毎日同じである仕事の方が僕は少ないと思う。

また、仕事以上に人間関係は、より様々な種が届く。

僕はこれから、その種を一つ一つ、ゆっくり調べて見ようと思う。何故なら、どんな結果も、自分が蒔いてしまった理由が必ずあるはずだからだ。

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38歳。ようやく色々なことに、気づけそうな年齢になってきた。

最初の気づきは、離婚をした時。

離婚をする理由は必ず自分にある。相手では無い。

自分が悪い時は当然に、相手が悪いと思える時も、必ず自分の中に相手にきちんと言える態度や、パートナーシップが取れていない。相手の事が許せないのもそれだ。

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その種は自分にあった。

ようやく少なからず成長出来た今、あの時の相手に、ひたすらに謝りたいと思うが、もうその相手は遠い所にいる。

そうした種自体は、良し悪し関係なく花が咲くが、悪い花は沢山の気づきをもたらしてくれ、新しい美しいく花への

準備になる。

理由に気づかず、ただひたすら悲しむだけでは、やはり人生は辛い。

どん底の中から、そこにいる理由に気づき、また陽のある場所に戻ろう。

どん底にいたことにも、理由があるから。

# by letitside0213 | 2018-08-01 21:11 | たいの日常。